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次男日記 -言葉の重みと大人になると云う事-

次男 
2013.02.18   [日記]



 今回は、次男である私が、日記を残したいと思う。

 先日、私は3歳になった。

 この3年余りで、様々な事を目にし、聞き及んできたが、げに人の心というものは、極めて複雑なものであり、身近な人間のそれでさえ、正確に把握するのはそれこそ一生かかっても無理なのではないかしら、と思い至る程である。

 私は、兄を持った事もあり、人より早く言葉を覚えた。それを用いる事で、自分の要求を伝える事が出来たし、他人が何を望んでいるかも、他の私と同い年の子供に比べれば、的確かつ早急に把握出来たので、この子は良く出来た子だ、と人より褒められる事も多く、私は悪い気もしなかったが、私の考えというものは、他人に常に受け入れて貰えるものではなく、幾段にも言葉を重ねたとしても、他人を動かす事が出来ない事はあり、歯痒い思いを常にしてきたのである。

 我々こどもは素直だ。言葉が私の望む役割を果たさない場合においても、常にそれは等身大の自分自身であり、時には多少の彩り飾る事はありえるが、本質的には、嘘偽りのない、魂というべき物が、子供の言葉には詰まっていると考えている。先日のこと、母と私が保育所に出向いた時の事だが、兄は幼稚園に行っており、その間に母はどうしても一人で出かけたかったらしく、私をそこに預けようとした。だが私は、あそこの空気がどうしても馴染めない。お世辞にも広いとは言えない室内で、赤の他人と触れ合う、それだけでも大ごとであるのに、昨今のインフルエンザが流行っている中において、マスクもせずに咳を辺りに撒き散らしている悪童もいるため、環境面、衛生面から考えて、とても許容出来るものではないのに、母はどうしてもそれを聞き入れずに、私を置いていこうとするので、張り裂けんばかりの声で、私は抗議した。今一瞬の自分の命をそこに込めて叫んだ。結局母は、納得はしないものの、しぶしぶと私を連れ帰ったのだ。それが私にとって命を掛け得る事の出来る、言葉というものなのだ。

 しかしどうだろう、大人というのは、誠に嘘偽りが多く、言葉の重みに欠けると言わざるを得まい。当然ながら、その中でも個人差はあるであろうし、大人が、と一言でくくるのには、私としてもはばかるものはあるのだが、その最たるのが、私の父だ。

 先日の私の3歳の誕生日に、父と母は私のために、ちよこれえとけえきを買い与えてくれた。これには非常に感謝している。問題はそれを皆で食した時の事だ。私は甘いものにそれほどの執着心を持てない。年を重ねるごとに、その味覚は変わっていくかもしれないのだが、あの甘く重い味わいは、生温い風呂に入っているような感覚を、私に覚えさせるのだ。そのため、私一人分にカットされたけえきも、半分を残して、皿の上にその体を、静かに沈めてあげるのが常だったのだが、今回は少し様相が違った。
 父は私に尋ねてきた。

「それ、いらないの?それ、いらないの?」

 何故、二回連続で同じ事を聞いてきたのかは分からないが、彼にとっては非常に重要な事らしくて、真剣な眼を向けて、私に確認を求めるのだ。当然、私は知っている。先日父は、ばれんたいんでえの日に、自分はちよこれえとを口にする事が出来ない人間なので、ちよこはいらない、と豪語していたのだが、本当は誰よりもそれを愛しているのだ。父の皿を見ると、既に自分の割り当て分は、平らげてしまったらしく、さらなる金の鉱脈目指して、私の皿へとやってきたのだ。

「父は、私のケーキを食べたいのか?」

 私が尋ねると、父は驚くべき事にこう答えるのだ。

「いや、そうじゃない。決して、お前の分まで食べようと思っている訳ではない。なにせ、今日はお前の誕生日でもあるしな。ただ、もしも、その半分残したちよこれえとけえきを残すのであれば、これはもう、人としての食料への賛美に関わる部分でもあるので、私が頂こうと思う」

 私にとっては非常に難解であるのだが、大人というものは、こうも家庭内においてですら見栄というか、自分の地位を守るために、私の目の前にあるちよこれえとけえきに塗られた、ちよこれえとの層よりも厚い嘘を、自分の言葉に醜悪にも塗りたくるのだ。傍から見るものからすれば、彼の言葉は既にその生を失っており、悪臭すら撒き散らす程に、悲惨なものである。

「欲しいというのであれば、あげるのけれども」

「欲しいのではない。そのちよこれえとけえきは、今まで大事に北の大地で育てられ、我々に食されるために、その生命を捧げたのだ。人はそんな罪を背負ってまで、生きていかなくてはならぬのだよ」

「では、欲しいのですか」

「いや、いらん」

 こう何度も遣り取りを重ねた後、いい加減にしびれを切らした母が、割って入った。

「じゃあ、明日食べるように冷蔵庫に入れておこうかしらね」

 そう言うや否や、皿ごと冷蔵庫の奥深くへと、攫っていった。

「だから、俺はちよこれえとは口にする事が出来ないと言っただろ」

 最後に父は誰にでもなく、一人そう叫ぶと、部屋の隅へと消えていき、はいだしょうこの「しょうこのメーメーblog」の新着記事チェックに勤しんでいるようであった。

 もし彼が、われわれ子供のように、言葉に自分の想いを載せれば、彼にとって望ましい結果に変わっていたかもしれないが、そうは出来ないのが、人であり、大人というものであるのかもしれないと、私はふと空になったてえぶるを前に、一人考えこんでしまった。

 とかく、言葉と云うものは、それを生み出す者、その者の想いによって、夜の海に幾千にも映る月明かりにもなれば、裏庭の石の苔にでもなるものである。

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コメント

初めまして?かな?

朝から爆笑させていただきました
なんと!美味しそうなケーキでしょう

父子関係の素晴らしい家族を垣間見れました

あたしも食べたくなってきました(笑)

No title

コメントありがとうございます。
先ほどこれを書いた次男も、コメントを頂けて嬉しいと叫びながら、布団にダイブしておりました。
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